吉田松陰に学ぶ
心に響く逸話がある。1853年のペリー来航時に
幕末の思想家、吉田松陰は当時浦賀に停泊中の軍艦
に乗り込み米国への密航を企てた。しかし、この謀
(はかりごと)は実現せずに終身刑を受け、山口県
萩の牢獄へ幽閉された。この時、彼は何事も無かっ
た如く、投獄の翌日から誰が聞くとも知らずに淡々
と儒学の講義を始めた。ある日、囚人の一人が松陰
に言った。一生、外に出られない俺達にその勉学に
如何なる意味があるのか。彼は応えた。物事を知り
て死すのと、知らずに死すとの違いがある。囚人達
は、相応の理解を得て松陰の牢獄での講義に耳を傾
け始め、いつか講話をそらんじる事ができた。時代
は、幕末維新へと急変する中、松陰は獄舎から解か
れ実家蟄居の身となった。その後、26歳の青年は
松下村塾を開き、高杉晋作、久坂玄端、山縣有朋、
伊藤博文等々の明治維新の主導者を育成した。松陰
の説く処は知力開道である。人は何故学び、学び続
けるのか。その解は、人生の可能性を高める事にあ
ると、鑑主は考える。赤心無知の身も社会の荒波を
受けて智略狡猾の輩と変じるのが、現世の常道であ
り、ある意味大人になっていくと評価される。この
認識は金権資本主義社会ではより明白になる。権力
の階段を昇りつづける事が人の成熟を証明するとは
限らない。学びつつ実践し社会の有るべき姿を追求
する、この松陰の生き方こそが日本国の基礎構築に
貢献した事は誰も否定できない。学問とは人が如何
に生きていくべきかを学ぶものである、と彼は生前
主張した。松陰の儒学講義を静聴していた囚人達も
松陰とともに牢獄から開放され、松下村塾の雑務に
従事し塾の運営に貢献したと知る。現代社会は個人
主義が確立され、人心の自閉化が顕著である。今や
無縁社会とさえ言われる程の有り様である。野心、
野望を口にして生きる若者に対しては、心配される
場合もある。時代状況は人々の生き方を采配する。
法治、泰平、整序、停滞、閉塞、惰性、虚無等々の
言葉は令和の時代性を表している。松陰は、夢なき
者に成功なしと断じた。夢なき若者達でもこれから
の日本国の主軸となっていく事が求められる。今は
火の付かないローソクであるかも知れないが、必ず
人生の大一番を迎える時が来る。その日を待って、
いや待ちわびて技術立身の信条を忘れないで頂きた
い。また、松陰は自分の価値観で人を責めてはいけ
ない。一つの失敗で全て否定しない、と説く。俳優
香川照之の事件は、今の日本社会を象徴している。
鑑主は思う。令和の時代は、潔癖性を求めるだけで
なく許し合う社会であるべきだ。もう水に流そうで
はないか。怒りながらも社会は君を敬愛している。
桑田佳祐の[涙のキッス]を聴きながら。頑張れ!