天治主義こそ真実

さしたる感動もなく[令和]の時代となり、5年が経過した。日付の[R]に違和感は消えたが、蒼天に向かい笑顔を見せる気分ではない。行き交う人々は、声に出さずとも、日本国民としての矜持を胸に生きているはずだ。その生活態度は、 生誕時に身につける日本人としてのオーラでる。しかし、今、その輝きは弱く、人心のフィルターは目詰まりしている様に思える。恐らくここ数年間の政治や社会における様々な事件が理由だろう。上級国民とされる人達の専横が目立ち、博愛の欠如、権益の独占が、未来に生きる若者達の幸福への道筋を塞いでいる。儒教資本主義の硬直、偏差値至上主義の政治、社会構造の弊害が顕著で、国家全体の柔軟性が喪失されている。哀しい事もないのに何故か涙が滲む、幸せを後追いする日常に抵抗感がない。猛進の昭和時代を経て沈滞の平成から憂慮の令和に移行中である。表すば、[ウナセラディ・ジャパン]だ。社会の健全的成長とは何か。その問い掛けと回答を多くの国民が求めてる。法治主義と人治主義のはざまで展開される八百長主義を、神仏が許すはずはない。[天治主義]こそが、規律の真実である。悪人が法網をくぐり抜け、成功を宣言しても、天の神、地の仏は認めない。[天網]こそ、神仏のお裁きである。神は天空の創始者であり、厳父だ。仏は地にありて人の命脈を守護する慈母である。神と仏が日本国の総帥である。神仏の承認なき成功は現世のまぼろしに過ぎない。デジタル社会の進展に伴い、人間関係は希薄化している。自身をサランラップにくるんで他人と一線を画すのが、現代社会の流儀で、交流の持続は経済力のみだ。1970年代に人気があったテレビ番組をなぞれば[一目会ったその日から、恋の花咲くことはない。貴方と私はあくまで他人。パンチでサヨナラ。]、金銭のしがらみが現代人のつながりとなる。商売は当然としても、結婚さえも打算の産物である。現状、愛のみの結縁は理想だ。日常生活の情報作、不正行為から[パパ活]までありとあらゆる場面で、[金]が鍵を握る。極めて分かりやすい社会だ。これを粗野で粗暴な人間集団の洗練と見るのか、堕落の潮流と捉えるのか、判断は難しい。現代社会の原点は[社会契約説]にある。[万人の万人に対する闘争状態] からの脱却を目指して国家が樹立された。闘いの日々より平穏な日常を選び、人類社会は超絶的な進歩を遂げた。しかし、社会の拡張的発展は同時に腐敗を生じる。日本国は今、社会のウミを出し切る時代にある。その役目を文春や新潮らのみに任せるのではなく、国民各位が自ら天網に身を投げ、何ら恥じる事なし、と大言できる日々を重ねるべきだ。他人の諸悪行を自省自浄の鏡とし、[幸福創造の溶鉱炉]たる現世において[心頭滅却すれば火もまた涼し]の境地が望まれる。

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