自由と孤独
自由と孤独
人は母の胎内から出生して以来、各自成長していく
過程で自己意識に目覚め、成人化する段階では確実
に心身形成され心的成長を遂げていく。
そして、人々の関心は現界にあって自らの生存環境
である家庭から学校、地域社会、さらにはより大き
く国家、世界、遂には宇宙へと向けられていく。
自分がある現実世界の状況は如何に認識、理解すれ
ばいいのであろうか。
戸惑いながらも、先人達の行動を一つの規範として
社会参加し、その社会で何らかの貢献を果たすこと
が生きる意味と本能的に察知し、特に疑問を持つこ
となく、社会の労働体系に身を置くことになる。
日々働く意義について自間自答しながらも各人は生
きんがために懸命に働き続ける。
これは人類誕生から現在まで継承されていることで
巨大地震等の天変地異への対処、飢餓干ばつによる
食料危機への備え、専制的な権力に対する抵抗活動
を維持するために人々は各自の立場で働いている。
そうして、各人は自由なる果実を得て、自己決定権
を持ち、行使する立場に立つ。
しかし、この自由たることが一つの問題を生む。
自己決定の結果責任である。
自由に物事を決められるかわりに、その結果は全て
自己責任になる恐怖が発生する。
鑑主の主張する、人生は迷いに始まり迷いに終わる
状況である。
労働時間の縮減を求めながら残業を希望する状況は
自由な生活時間を獲得しても、その時間を活用する
自己の意思決定ができないのである。
一つの結論であるが、人は持続的労働の結果、自由
を得るが、その自由を持てあましてしまう。
つまり、自己決定は孤独な作業であるためにその辛
さに耐えきれず、労働体系の檻(おり)から永遠に
抜け出せず、またおりに戻って行くことになる。
自由民主社会における問題は、自由と孤独の問題に
尽きるのではないか。