サイコロ

サイコロ
ご存知のサイコロ、これを手にすると本能的に目前
に投げてしまう。しかし、決して7の目は出ない。
そこで人は考える。もう一個転がせば良い。両手に
二個を握りしめ気合を込めて一発6越えをめざす。
現状に我慢すれば6分の1の確率で人生のスゴロク
あがりを望めるが、自立独立を求めるならサイコロ
二個を振る真剣勝負となる。丁半博打の大勝負だ。
確率計算では6分の1の自乗となり、結果は36分
の1、僅か3%を切る。最悪は1の目二つである。
起業、創業を考える際にはサイコロを振る前に自己
の器量を良く見はかる必要がある。自分の目で自身
を見ることはできない。他人を姿見にしてご意見を
真摯に聞くべきだ。よしなさいの声が出るなら神の
声として、考え直す必要がある。実力の過大評価は
自惚れに過ぎない。むしろ危険な青信号である。
事業家として成功する人間は、ある意味化け物であ
ると知れ。彼らの横後ろには神か仏が立っている。
表彰台に勝利者として立ち、その時に受ける栄光の
まぶしさは、それまでに流してきた涙の霧である。
貴方の人生に果してチャンスは訪れるか。春夏秋冬
の様に毎年4回つかめることはない。焦る気持ちは
良く分かる。しかし、100の花は千の根があって
こそ咲ききれる。鑑主は、成功を望む貴殿にお尋ね
する。貴方は、常日頃墓参をし、家では感謝の念を
込め仏壇に手を合わせていますか。神棚の前に立ち
二拝二拍手一拝し、祝詞をあげ神霊に祈願していま
すか。かかる行為の継続こそが特続的成功の根とな
り、成功の開花に繋がるのだ。神棚や仏壇なしでは
サイコロを何度投げようとも、成功をつかむことは
できない。人生は、サイコロで決着をつけることは
不可能であることを良知すべきである。
男に生きて男で死にたい。記憶に残る親分のセリフ
だが、それは人生劇場の一場面では光るが終幕まで
大丈夫か。瞳を閉じる時の言葉は、あーしんどー。
親分、ご苦労さまでした。丁半博打の終焉である。

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