ロシア-ウクライナ紛争私見(4)

いかに苛烈を極める戦闘状況であっても、この国の
住民にとってはガラス越しに見る戦争でしかない。
ロシアの残忍非道な破壊行為でさえも、段々と見慣
れた光景となり、さしたる印象も薄れつつある。
各種メディアにおける識者や専門家の論評も平準化
され、本戦争は自由民主社会と専制体制社会の闘争
であることを基本的総括として、プーチンの狂気や
精神的異常性が惹起した暴発行為であると評する。
故に、今後は国際司法の場で現在の戦闘行為は処断
されるはずであるから、その時まで自由主義陣営の
力を結集させウクライナ国家存続のために尽力する
べきである。これが支援国家間の共通認識である。
思うに、人間は現在にあっていつも未来に目を向け
て懸命に生きている。いや、生き続ける。しかし、
視点を変えれば、人は生きながら過去を造り続けて
いる。今の一瞬は既に過去であり、これまでの人生
は、思い出の重なり合いである。人が、未来に挑む
時は、歩んできた過去が常に踏み台になっている。
意識するとせざるに関わらず、人は常勝人生を願い
かつ求めるが、人の背中を強く押すのは遺根を晴ら
す力、恨みパワーであり、大概はそれが果たされる
まで消念しない。プーチンにとって、ウクライナ国
及び国民は、あくまで裏切り者の集団であり、成敗
(せいばい)されるべき逆族軍団である。よって、
殺人行為は正当化されるのである。彼の背中を押す
のはソビェト連邦復活こそ国家栄光の再来であり、
その実現達成がロシア国家大統領の天命と信じる力
である。明るい未来を信じるウクライナと過去を振
り返り歴史的考察を基軸に専制体制こそロシア国家
国民の幸福を保証する。両信念の対決が拡大する。
ウクライナで[もとは]と[もはや]が激突する。
確信的仮説の集積が常識であるが、ロシアの常識が
良識であるとする根拠は見えない。またウクライナ
に対し自由民主主義陣営が将来的幸福を保証できる
状況でもない。第2次大戦終結後77年が経過して
国際的平和の実現は、野望の喪失と思料されるが、
ロシア、中国、北朝鮮らは野望の実現に駒を進めて
いる。三国に共通するのは、国家の栄光である。
不気味な足音が響き続ける。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です