米袋
確か、小学校3年生の5月半ば、探検遊びと称して
自転車で近所を走りまわっていた。知り尽くしてい
た路地や細道を何も考えずひたすらベダルをこぎ続
けた。宿題も頭から消え去っていた。その時、路地
から公道に出た途端にあるお姉さんとぶつかってし
まった。持っていた紙袋からお米が一気にこばれ落
ち、その手に馴染みの米屋さんの袋だけが残った。
大変なことをしてしまった。慌てて、自転車の前輪
を後ろに回し、懸命に路地を逆走した。顔はほてり
心臓がドキドキした。やたら怖くなってきた。そし
て自転車を止めて子供なりに一考した。どうしょう
か、このまま逃げてはいけない。そう思って自転車
をさっきの現場まで戻した。お姉さんが、うろたえ
た表情で辺りを見回していた。恐る恐る近づくと、
アンタどないしてくれるん、と睨みつけてきた。
ついてきて、それだけ言って自転車をゆっくりこぎ
だした。黙ってお姉さんが小走りで追ってきた。
タバコ屋の店先に着き、おかあちゃんと叫んだ。
お姉さんが私の前に出張った。実はお宅の息子さん
とすぐそこで、話を聞き終わる前に母は台所に走り
米袋を破れる程ふくらませ、謝りながらお姉さんに
手渡した。奥から同居の叔母も出てきた。事の次第
を知って、店の釣銭箱から千円を取りお姉さんに押
しつけた。恐縮しつつも、二度三度頭を下げて笑顔
で帰るお姉さんを母と叔母がしっかりと見送った。
この間、母親の少し汚れたエプロンの結び目を固く
握りしめて右の脇から覗き見していたが、良かった
と思うと同時に土間を駆け上がり、奥の部屋で背中
を丸くして寝たふりをした。少し涙が出た。二人の
母は頼もしかった。今も墓参の度にこの日が蘇る。