変化の真義

変化対応力が、事業成功の鍵である。と、有名企業
経営者らが説く。なるほどと思う。ではこの変化と
は、いかなる意義と理解するべきか。実は、変化には二つの字義がある。一つは、[へんか]と読む。
ある一定の状態から別の状態へ移り変わる。つまり
変じる事と捉える。一般的、基本的な認識である。
世界、社会、政治等々の企業を取り囲む外的環境が
変わる事を重視する。市場環境や消費者ニーズ等の
異変と認識され、企業存続の一大関心事と言える。
一方、[へんげ]、との解釈がある。こちらはやや
特殊な字義である。本来的なある姿が、そのかたち
を変えて現れること。この説明では本質的な変化が
ない。本来の姿形が存続する状態であり、化けの皮
を剥がして、正体を見抜く力、見えない物を凝視す
る落ち着きのある視座や勇敢な胆力が求められる。
本両義ではその把握に応じて、経営方針の決定自体
が大きく異なってくる。簡略すれば、[へんか]は
改革、革新姿勢の標榜につながり、[へんげ]は、
保守、守勢の経営軸となる。具体的には、商品開発
や市場開拓においても明確な差異があらわれる。
昭和20年8月15日、天皇陛下の玉音放送により
太平洋戦争の終結が宣言され、日本国は無条件降伏
し、すべての国家表層を喪失した。しかし、優秀な
赤門官僚群が果敢に復興シナリオを描き、陸の王者
と都の西北が実働代表を務め、やまとの大地に汗と
涙を染みこませた。その命の水が見事な花を咲かせ
降伏を幸福に変転昇華させた。この間、戦後の社会
状況は、映像シーンで良く再現されている。例えば
渋谷。ご存じ安藤昇氏が法政大学の学生ヤクザとし
て、一斉風靡の大奮闘だ。闇市の利権奪取、懐かし
いキャバレーでの地元ヤクザとの大立ち回りには、
恐ろしくて片目をつぶりながらも、しっかりと感じ
入る。飢えきった大衆と夢に生きんとする若者達の
群像劇は、敗戦の屈辱を野望で晴らさんとする、夢
と屈辱の連立方程式だ。落ちた物でも汚れた両手で
大事そうに拾って口にした昭和一桁世代。この時代
に、果して改革や革新なる言葉は、いかほどの力を
持ち得たのであろうか。ここに、変化の真義がある
と思う。日本国は、焦土から小奇麗な表層を創造し
てきた。一応の成功と言える。成功は名誉の獲得や
財の取得とされるが、屈辱の喪失とも理解できる。
戦後から令和に至る77年間を省察する時に、上記
変化の意義を再考する必要がある。刺激的な世相の
表面上の変化だけを思考対象とせずに、人間本来の
命の欲求を見抜く洞察力こそが企業経営の成否を決
する。つまり、冒頭経営者らの説く変化対応力を認
めても、変化の表層よりも底流にひそむ、へんげ、
に着目することが、令和時代の事業経営成功の鍵を
握るのではないか。即ち、人間社会の変わらぬ変化
をどう考察するか。安藤さん、どう思われますか。

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