歴史と宗教
歴史の検討において、タテ軸とヨコ軸の分析が有用
である。古代から中世、近現代史に至る過程を理解
するには、夕テの流れとそれをせき止めて横断する
ヨコの動力を時代ごとに的確につかむ必要がある。
このタテ軸として、[利権闘争]と[愛欲執着]、
ヨコ軸に[思想支配] と[環境変転]をキーワード
にすれば、歴史年表はすべて読み解く事が可能だ。
俗っぽい表現では、タテ軸に金と愛、ヨコ軸に信条
と異変、となる。先の太平洋戦争では、石油輸入の
利権が途絡え、祖国愛から、皇国思想で国際環境の
変化するなか米国に宣戦布告した、という具合だ。
歴史年表は、国家や文明等の人間社会を記述対象と
するが、その主役はいつの世も人間自身であった。
血なまぐさい、ドロドロとした、見苦しい切なさに
包まれた、異臭に満ち満ちた人間ドラマと言える。
ここにおいて歴史のタテ軸のカウンターパワーとし
ての[思想支配]の一つである、宗教について考察
したい。宗教が歴史の中でいかなる役割りを果たし
てきたのか、と言う問いかけは時代毎の差異を超越
した人間社会を規定する支配力に迫る解明である。
宗教は神の価値観を教える。信仰はその教えを信じ
て従う行為である。何時いかなる時代も為政者は民
を国家、社会集団におとなしく従順させる事に苦心
惨憺する。法や律令を考案駆使しても不完全な状況
となる。ここに宗教の存在意義が光る。各宗教間の
相違はあっても、宗教は基本的に、[べからず宗]
である。現世の日常生活の有り様を細かく律して、
社会的混乱の回避と安定的な秩序維持を目的にして
人々が相互扶助の精神に基づき社会の漸進的な発展
をめざず事を求める。法律よりも宗教的生活の遵守
が、社会支配において威力を発揮する。また、民の
立場で考えれば、神仏にすがる暮らしは、安心感を
得られ、病気や貧しさを乗り越えて生き抜く上での
安らぎとなり、神の言葉に希望を見いだす事が可能
となる。よって、国家も国民も宗教に依存する事に
なる。また、時として宗教が他国侵略のための武器
になる場合もある。15世紀から17世紀にかけての
大航海時代にあって、コロンブスやマゼラン達は、
キリスト教の教えに基づき、新大陸の原住民ら全員
を虐殺したらしい。旧約聖書のヨシュア記に異教徒
は、皆殺しせよ、との記述があると知る。つまり、
キリスト教は、隣人愛を説きながらもジェノサイド
を容認している。宗教の恐ろしさに、言葉を失う。
歷史上、優れた為政者は領土拡張に先立ち宗教支配
に努力してきた。宗教勢力の対決こそが歴史の本流
である。その意味では豊臣秀吉や徳川家康ら日本国
の国主がキリスト教を排斥したのは、慧眼の極みで
あったと言えよう。ちなみに、日本は無宗教国家と
称されるが、天皇を頂点とする先祖崇拝教が現存す
る。キリストの直接布教は僅か3年。対する日本教
は、奈良時代のヤマト王権から数えて1300年の
歴史を誇っている。神話をファンタジィーと揶揄す
る批判もあるが、歳月の試練を経た価値観を尊重す
る意義は大きい。道に生きてこそ、徳を得られる。
道徳の真義は、日本教の神髄であるはずだ。