日本経営史(1)
日本経営史(1)
令和の時代にあって、起業エネルギーが日本再生の
推進力になると考える。そこで、検証的に日本国の
近現代を通じて企業経営はいかなる過程を経て今日
に至ったのかを確認し、日本的経営の特徴や特質等
を明らかにする。まずは明治維新から考察したい。
日本国の経営発展を、近代化と企業経営の視点から
見れば、明治維新を出発点とするのが妥当である。
企業家と称する人物の登場と近代的企業の形成は、
明治維新が起点となる。明治維新は、古代天皇制の
復活であったが、実際は薩・長・土・肥連合出身の
武士政府の実現であり、急進的な改革がなされた。
その結果、日本社会で商業活動の自由化が促進され
殖産振興を合言葉に近代化の諸条件が整備された。
また、[文明開化]は、世襲的な身分社会によって
窒息されていた人々の心身を開放した。そもそも、
江戸時代において寺小屋教育を基盤として高レベル
の教育が普及し、日本の文化的な構造は文明開化の
思想伝達に関して何ら問題がなかった事実は重い。
ちなみに、鑑主、父親の母方実父は佐賀県市丸家の
出身で、大隈重信らと一緒に寺子屋塾を営んでいた
と聞く。往時、大隈の誘いを断り故郷に残る日々に
あって溢れる蔵書の中で同氏の活躍を祈りつつ逝去
したらしい。余談であるが孫や曾孫らは早大へ進学
した。さて、明治期の企業家は社会的出自を絶対視
せず能力と業績を尊重する価値観を踏まえ、武士の
賎商意識に対し社会における営利行為の意義を主張
した。政治思想としては、西欧烈強諸国の豊かさに
圧倒される中、富国強兵策を掲げ、自由度があって
も社会主義思想で彩られていた。つまり、官権思想
のもと、強制貯蓄を原資に財政投融資がなされ国益
が重視される社会であり現代に通じる日本株式会社
の原型が造られた。いわば、組織資本主義であり、
儒教資本主義の誕生である。令和4年は明治155
年である。官僚主導による大資本が市場を創造して
以来150年が経過した。今や個人研究による知識
が情報の新結合を生み、新たなる市場が創造されて
いる。また、現状少子化が問題視されているが明治
初期の人口は3000万人、末期で5000万人程度
であり、現代より半分以下の一家世襲を基本とする
少子社会であった。さらに自由民権運動が帝国議会
の開催に至り、立憲国家の成立となった。都会では
洋風建築が目だちはじめ、鉄道、郵便、電信、電話
の社会インフラが整備されていった。対外的には、
江戸幕府の残した諸外国との不平等条約の解消に務
め、各種条約改正を成し遂げた。この過程で大隈は
外相時代暴漢におそわれたが、この命果つるともの
精神力で難局を乗り越えた。曾祖父が畏友として、
敬愛した英魂は、都の西北に輝き続ける。