開運原論
運命に関する考察(12)
人々が現世で、一応の成功を治めた時、本能的行動
として、自城建設や改名を企図し実行する。自己の
領域を確保し、改名により存在感を強く響かそうと
欲する。まさに、我が命の盛りここに在りとの自己
主張である。開運において、一番重要な節目に立つ
時は、この時点にある。世間で事件が最も頻発する
のは、新築、改名の実行と断言できる。そして殆ど
が期待ではなく失望する結果となる。貴殿らの回り
を見て自社ビルの建設や自宅を新築して上手く行く
ケースを見る事が多いと思われるか。倒産、破産、
夜逃げ、離婚、家庭崩壊等々、実に不幸なケースが
多い。分かりやすい実例として、芸能人や著名人の
各種事件の発生が挙げられる。改名についても最近
では略字鑑定が主流となりつつあるが、本字あって
の略字である事を無視したために、より運命悪化の
状況に陥り元の名に復すとの状況が確認できる場合
も多い。これらの残念な結果の原因には二つの事実
が考えられる。
一つは、自らの想念の歪みが是正されずに
形として現世にあらわれる場合である。二つ目は、
関与するアドバイザーの実力不足である。この二つ
が重なりあって悪相出現の結果も多々見られる。
[色即是空・空即是色]、これまでの説明通りこの
本意は現界と霊界が表裏一体である事にある。一般
的には、有るけれども無い、無いけれども有るとの
解釈があるが、鑑主はその意を理解できない。訳が
分からないからである。正しくは、想いが形となり
形が想いを造ると理解すべきである。鎌倉時代には
後世に語り継がれる仏師として、運慶と快慶が偉業
の作を我が国に残した。威迫の運慶と優美の快慶と
讃えられるが、約800年を超越する威容の東大寺
仁王像は、色即是空の実証である。彼らの心に現臨
した金剛力士に対する想念が仏像として現出したの
だ。つまり、想いのエネルギーが形、即ち色を造る
のだ。哲学者、デカルトは[我思う故に我あり。]
との言葉を残した。その意味について論及する資格
はないが、鑑主はこれこそが色即是空の真義である
と考える。即ち、人の精神世界における活動が命の
実相である、と説明している様に解釈する。論考を
新築と改名に戻そう。地球を1メートルの球体とし
て把握すれば、大気圏は僅か1センチに過ぎないと
知る。人間はこの1センチを限界空間として生存し
ている。人生は、せいぜい80数年が基本とすれば
出来る限り、開放空間で生活を維持する事が望まし
い。しかし、現実的にはあらゆる環境制限を受けて
自由自在に一生を終える事はできない。よって古来
より中華帝国において風水学が探究され、日本にお
いて家相術が伝承されてきた。重要な点は技術技法
の行使以前により良く生きる心構えが求められる。
金があるけれども金ではない。金がないけれども金
はある。笑い話である。現世においては在るものは
確実に在る。形の無いものは存在しない。しかるに
人生は、持ち金と相談して歩み続ける一人旅に終わ
る以外にない。大事な点は、金の使い方に注意する
事だ。可愛い子に旅をさせろとの教えがある。子と
金は同じである。まかぬ種は生えぬとの教えもある
が、正しい思念を持って新築、改名を心がけるなら
その投資は、自身の命を輝かせるだろう。その時が
金即是空、空即是金となる。物質的超越の繁栄だ。