安倍元総理の国葬

鑑主の実感として、最近のメディアの各種論評には
説得力がない。この度の安倍元総理の国葬について
も同様だ。識者や評論家の話もレベルが低過ぎる。
エラそうに話しても、物事の核心を突けないのだ。
一口に言えば、本件国葬は政治ショーである。それ
以外に何の意味がある。安倍氏が評価できる具体的
成果を挙げたのか。アベノミクス、日露交渉、尖閣
諸島、竹島奪還、北朝鮮拉致事件等々。すべて実績
なしだ。加えて森友カケ問題の件は、論評する事す
ら不愉快な程だ。歴史的視点で礼賛に値する政治家
こそ国葬に相応しい。しかしながら、日本は米国の
メカケ国家である。米国からやれと声が掛かれば、
逆らえない。ましてや銃撃殺人と言う痛ましい事件
の総括として、平和国家を標榜する以上は何らかの
国家意思を明示する必要がある。故に対外的な影響
を考慮して国葬を執り行い、今回の殺人事件は私恨
に基づく突発的な行為であり、民主平和主義の維持
には全く政治的混乱がないとのメッセージを表明す
る公的儀式が求められる。端的に、日本の安全神話
は保持されており、大丈夫ですよ。とのセレモニー
として本国葬は執り行われるわけである。つまり、
真義は元総理を弔う形を採りながら、実際には国家
威信の誇示が目的となる訳である。この点から考え
れば、既に別記ブログに記載の様に、鑑主の確信と
して安倍氏は悪性腫瘍を患っており、そう長く生き
られる状況にあったとは思えない、と判断している
が、今回は銃撃死を理由として国葬になったのであ
る。病死なら大勲位中曾根元総理と同様の自民党葬
で葬送されることであろう。ちなみに、ズレタ国会
議員や評論家は、税金が投入される国葬に関しては
同基準を審議して国民の合意や納得が必要だと主張
しているが、今回の国葬は政治ショーに過ぎない。
特別な紅白歌合戦の類と考えれば良いので、そんな
議論は全く必要ない。国費圧縮を主張するなら議員
有志が1月100万円の文書交通費を本国葬に寄付
すれば済む事ではないのか。お釣りが返ってくるは
ずだ。それにしても、現代資本主義の修正行為とし
て行政国家現象がより顕著化している状況において
政党は圧力団体となり、その政治活動は自由と民主
を教示とする宗教活動となっている事が日々明らか
となってきている。自民党と公明党との関係、さら
には、今回問題視されている旧統一教会との癒着は
政教分離ではなく政教一体の現況を生々しく物語っ
ている。[天網恢恢疎にして漏らさず]。人は死し
て霊界に身を置き、人生の2回戦に挑む事になる。
この世の成功者が再び公式戦に出れる保証はない。
よって、この世の不幸を嘆く人々は努力研鑽を怠ら
ず、第2回戦の大谷翔平を目指そう。慰めである。

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