ゼロ戦とレクサス

1941年12月8日、皇国思想に身を浸しきった
日本海軍精鋭隊が零式艦上戦闘機、ゼロ戦の操縦管
を強く握りしめハワイ真珠湾に停泊中の米国艦隊を
突然に攻撃。戦艦アリゾナは1000人超の米兵を
抱いて真っ二つに割れて海中に沈んだ。戦果は軍艦
4隻の撃沈と戦闘機約300機の破壊。洋上で吉報
を待つ戦艦[赤城]の司合部は[トラトラトラ]と
作戦開始の成功を告げるモールス信号を三度受電。
直ちに大本営は急襲作戦の結果を確認し日本全土に
米国との開戦を告げた。遂にこの日が来たのかと、
日本国民は米国との戦争は無謀と危惧しつつ、必勝
祈願の魂魄を輝かせ沸き立つた。しかし、連合艦隊
総司令長官山本五十六は、沈着冷静に以後の展開を
思案した。枯渇する石油資源の確保を目的に南方の
資源地帯、ボルネオ島を攻略支配したが、その代償
として米国により石油の輸入は完全に停止されてい
た。国難を打開すべく対米戦争は乾坤一擲の大勝負
となった。真珠湾急襲は米国への張手であり、一瞬
のふらつきを得たら即座に米英諸国との和解交渉の
開始を目論んだ。だが欧米各国は山本の想いを完全
に破砕した。米国は、日本の宣戦布告なしの奇襲に
激怒し、約2500人の同胞を喪失した遺恨晴らし
の逆襲に出た。大魔神の覚醒である。ミッドウエー
海戦の大敗を端著に形勢は一気に逆転し最後は広島
長崎への原爆投下により、日本は連合国軍に無条件
降伏し燃え盛る大和魂は深い眠りに入った。真珠湾
攻撃の決断にはゼロ戦の存在が大きい。極限までの
軽量化により長距離飛行能力と旋回移動性能が高め
られ敵機との格闘戦での優位性が確保されていた。
よって戦艦からツバメ返しの攻撃が可能であった。
実際、本戦初期には米国との空中戦では負け知らず
であったと知る。ある人はゼロ戦を日本刀の切れ味
と評す。ムダを削ぎ落とし一気呵成に相手を切り倒
すための宝刀、それがゼロ戦であり米英国にとって
終戦まで畏怖の存在であり続けた。改めてゼロ戦を
知れば設計技術や設計指針が注目されるが、それら
の基底にあった[報国思想]を重視すべきである。
国家危急存亡時の製造物資が不足する中、国民全員
が欲しがりません勝つ迄は、と家の鍋、釜、ヤカン
をお国の為に供出しゼロ戦1万機製造に協力した。
この挙国一致の精神と農耕民族として古来より承継
してきた農工具開発による金属加工技術が一体化し
ゼロ戦に結実した。真珠湾攻撃から80年が経過。
戦後日本の驚異的発展は技術立国の歩みと言える。
現在では資本主義国家の花形商品は高級自動車だ。
ドイツのメルセデス、米国のキャデラック、そして
日本にはレクサスがある。価値あるモノづくりこそ
がトヨタイズムならば、ゼロ戦の輝きを基盤として
欲しい。[永遠のゼロ]は、技術立国の誇りを語る。

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