リスクマネジメント
ある人が、阪神淡路大震災の苦難を経験し、東京に住まいを求め、ヤレヤレと安堵して、東京メトロで移動中に[サリン]事件に遭遇し、入院生活を余儀なくされた。同情しつつも苦笑を禁じえない話だ。同人なりの事情と判断により、上京したはずだが、黒いオーラは消えなかった。人々は日々の暮らしで様々な選択を繰り返している。一般生活では意図的よりも惰性的な行動を積み重ねている様に思える。そこで、社会における[不確実性]の高まりの中で将来の危機に備える具体的な対処が必要とされる。当たり前の日常生活や習性的活動を改めて見直し、それらが最適か否かの判断が重要視される。総称は[リスクマネジメント]でる。この危機管理行為は個人行動だけでなく、より広く企業や団体活動全般
も対象としている。今ある危機からの脱出と近未来に発生が予想される危難との向き合い方が中心だ。冒頭事例は東京に安住を求めての個人的な悲劇だが現実社会では、各種法人においても想定外の出来事が多発する。その影響は甚大で、個人レベルの比ではない。日本大学、宝塚劇、自民党のパーティー収入のキックバック、これらは自浄作用の期待困難
な社会的事件である。日本社会は、規律民主主義と呼ぶべき法網の空間を維持している。タテ型社会を輪切りすると、ハチの巣構造が確認できる。明確な各仕切り空間は、各種ムラである。令和に至っても弥生時代から続く、ムラ社会は健在だ。歴史の流れによって、多くの日本人が郷土から離脱し、ムラを離れた先に所属するのは、職業ムラだ。これが[界]である。政界、財界、官界、学界、法曹界、芸能界等々の多種多様な界があり、厳しい[掟]がある。この掟が中々厄介な取り決めで、核心部分は言語化されていない。[俺の目を見ろ、何にも言うな。]が基本で、先輩が発する言葉は、[仕事は見て覚えろ。]だ。余計な事を言わず、ハイと言い続ける生き方を[道]を極めると尊敬される。悪事を見た場合には、墓場まで持って行く事が、暗黙の了解規約だ。大将たる人物を囲んで、談笑を続ける車座社会において[間違っている、と思います。]、との発言は、まさに命懸けの行為だ。[貴様、誰のおかげで今がある。]との集団リンチが開始される。日本国では組織存続がリスクマネジメントの最重要課題で、[裏切り]は許さない。その為に危機管理行為がある。よって不信と背信が奏でるシンフォニーを聴きながら、 道を歩み続けるのが、日本人の一生だ。日本大学では男から女相撲の横綱にバトンタッチされたが、現状多くの関係者から押し出し攻撃を受け、俵上で必死のケタグリを繰り返している。その様は、すみれの花咲くラインダンスに負けない足上げだ。桟敷席で固唾を呑んで土俵を見つめるのは、自民党幹部だ。東京地検特捜部の張り手は鋭い。ドスコイ自民党。