信念よりも理念
投げ銭だけで生きています、と手書きの段ボール片
を足元において、ギターを懸命に弾きながら若者が
声を張り上げている。ストリートミュージシャンと
称される、彼や彼女らは、いつか有名な歌手として
世間に知られる日を夢見て、都会の喧騒を弾き返す
迫力で、美声を武器に街行く人々の足を止めようと
必死である。歌手としての成功は、素手による絶壁
のよじ登りに近い。指先の爪は剥がれ落ち、両手、
両足の関節は砕け、咽頭は腫れ上がり、遂には奈落
に転落するだろう。それでも、他人から歌が上手い
と褒められてきた記憶が五体に染み込み、自己催眠
状態で、歌手以外の人生は考えられない。信念の力
と言われる様に、自身の強い思いが成功に結実する
のだ、と一般的に理解されている。念ずれば花咲く
との言葉もある。この考え方は、いわゆる成功哲学
のイロハである。実際に、成功者の多くが、諦めず
に継続してきた事を成功の要因として吐露するため
説得力が増す。なるほど確かに、不屈の精神力は、
成功にとっての必要条件だ。しかし、十分条件では
ない。先の若者の様に、人生を歌に掛ける気合には
感動すら覚える。人生の曖味な選択より、鋭い潔さ
だ。だが、信念の力だけで成功を呼び込む事には、
限界がある。つまり、信念は単なる一人よがりで、
自身の自惚れに過ぎない場合が多い。冷静に考えれ
ば、歌の上手さだけで金儲けは不可能だ。日本一の
ロックンローラー、矢沢永吉氏は、歌うよりも先に
人生自体を商品化し、現在の地位をつかんだ。常に
時代の風を捉え、[成り上がり]を人々に見せつけ
てきた。永ちゃんの人生そのものが一つのバラード
だ。歌の感動をより増強させる力は、彼の人生履歴
である。彼は、言う。いつも金が欲しかった。金へ
の執着が、今の俺を造った。この話を聞く時、誰も
がハングリー精神の発揮と理解する。しかし、重要
な点を見逃している。それは、[ポジショニング]
の展開だ。貧困状態から抜け出し、リッチな地位に
着くまでのプロセスを、彼は、一つの物語りとして
主張し、観客を熱狂させてきた。元々、裕福な家に
生まれ、東京芸大出身であれば感動神話は誕生しな
かっただろう。つまり、信念の前にロック歌手とし
て成功を果たすまでの理念があった。投げ銭生活は
ハイリスクだ。職業選択の自由はあるが、実際には
様々な制約がある。学歴、資格、資産の有無は高い
壁となる。自らの生活環境を客観的、総合的に見て
社会での自身のポジションを決定する事こそ成功の
十分条件である。社会という将棋盤における自己の
位置付けを明確にし、生かされる駒に成りきれば、
飛車には飛車の、歩には歩の、活躍が実現できる。
理念とは在るべき姿だ。それは信念の基盤である。
永ちゃんはストリートに立たなかった。あくまでも
舞台で真剣勝負。ファンキーなポジショニングだ。