儒教資本主義

資本主義は、金を元手に商品やサービスを原則自由
に社会に提供し、結果として元手を増やすやり方を
言う。本質は人の欲望を充足する自由競争である。
歴史的に見て、まず最初の大成功者はイギリスだ。
イギリスは、キリスト教の宗主である。本教義では
人間の原罪を前提にして神に人生の全てを委ねる。
罪を犯せば相応の裁きを受ける。人は神に従っても
人には従わない。この教義が素晴らしい。つまり、
人は神にはひざまずくが、対人関係は互角の勝負。
ギブ&テイクのドライな関係で堂々と商売可能だ。
だが人間関係が対等。これは混乱状況を招く。故に
契約と言う行為を開発し、互いの裏切りを防いだ。
結果、契約を盾に好き勝手にやっても裁かれない。
さらに、経済学者アダムスミスが神の見えざる手で
混乱は均衡収束されるとし、ウェーバーが商売人を
[プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神]
と言う、高尚な理論で勤労成果が社会経済の発展に
繋がるから自由自在にやれと激励した。英国は大英
帝国となり植民地支配により世界の覇者になった。
さて、日本は、儒教・仏教・道教の三教が重層密着
した国家であり、その統治システムは、官治、法治
主義である。明治維新後、資本主義が社会の成長軸
として本格的に導入される中、渋沢永一は、倫理と
利益の両立を図り、日本資本主義の父と称される。
同氏の異色性は、経営に儒教思想を置き、道徳自治
や先義後利、利他主義を貫徹したことにある。
本経営思想は儒教資本主義と呼ぶべきもので、日本
タテ型社会の成熟に貢献してきた基本的な原型だ。
今、日本国民は停滞と閉塞の二重奏に悩んでいる。
この原因は日本社会の構造にある。ビジネスは本来
契約戦争である。上記大英帝国の実例通り、強奪と
侵犯、渉外戦略が必須だ。しかし、日本では儒教の
教えに基づく商業道徳が重視され、協調的な競争、
原則と例外を子細に研究して上位に達する事を成功
の常道とする。成功者の多くは、本則例外の潜脱者
と評される。ちなみに、タテ型社会での経済活動は
噴水型システムである。政府が民より税金を徴収し
上から予算行使として一気何成に金を流し落とす。
ゼネコン型下請けの業態が象徴する様に、社会的に
下位に立つ者は、上位者からのおこばれを利益とし
て頂戴する。儒教主義社会では先達に反論不能だ。
日本国は、上位下達の指令構造だ。命令服従が当然
である。社会が成長進展していく状況下では、経済
活動は、乱れなく美しく、敬愛の対象となり、富士
の山に比肩する評価を受ける。しかし、今や儒教の
弱みである個人主義や独自主義が先鋭化している。
令和は全体と個人の相剋が深刻化する時代となる。
富士山爆発と同様、どう対処すべきか模索が続く。

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