反社集団のオモテとウラ
自由民主主義の国家体制を維持する根本理念は法治
主義である。ただ、法が法として存在するだけでは
全く意味がない。法は適正、厳格に運用されてこそ
存在価値がある。故に法治主義はその正しい適用に
よってのみ機能を発揮する。この至極当然の事実が
現実の人間社会では確認できない場合が多い。その
原因は、法そのものではなく人間側、つまり運用者
の恣意性にある。実際的には法の解釈、例外規定や
先例踏襲等に関して、その時々の社会状況及び政治権力が大きく影響し、法の適正な運用が妨げられる
場合が見られる。これを人治主義によるご都合主義
と言う。つまり、法治主義の八百長である。権力者
は往々にして時の流れを無視して権力を私物化して
法の不正運用を図る本能を持つ。この権力私物化が
問題視されるのは、この権力者周辺に八百長市場が
形成される点にある。この市場が反社集団の巣窟と
なる。しかも厄介なところは、権力者側に立つ反社
集団の存在である。鑑主は、これを裏反社と呼ぶ。
恐らくこの言葉は、現状メディアでは表出していな
い。裏社会との表現はあるが裏反社はないはずだ。
この裏反社集団が、日本の権力中枢において権力者
の回りを取り囲んでいると思われる。一般社会では
反社集団に対して強い嫌悪と脅えや、交流上の多大
な損失を考慮し、警察権力等による監視や規制強化
を望む声が常態化している。事実、暴力団、総会屋
及び過激な政治団体は、公的悪人集団として認知さ
れており、実際に全国の都道府県では反社会的勢力
の対策として[暴力団排除条例]が制定され定型的
な脅迫行為や恐喝事案に相応の対処が実行されてい
る事は明らかである。叩きやすいオモテの反社行為
は徹底的に国家権力により抑制、抑圧されている。
問題視されるべきは権力者の側に立ち、あくまでも
正当かつ合法的な行為者である事を標榜、喧伝して
あくどい事をなし続ける一派の反社行為であろう。
裏反社集団は、権力者側に生息する存在であるため
様々な社会的問題が露顕するまで、一般国民は彼ら
の悪行には無知である。一派と交流のあるマスコミ
連中も各種情報ソースを保持する必要から文春砲や
新潮攻撃の開始を待ち、真打ちの正義づらして一面
掲載に踏み切る。極道親分衆の本心はワシらよりも
悪いのがようさんおるやろ、である。バブル崩壊後
の30年超を省察すれば、各ケジメのつけ方は一応
でも、未だ社会にハズミがつかない。モリカケ桜、
統一教会に東京五輪。安倍元総理を国葬で悼んでも
その控室でカラオケ慰労会か。ヤクザは兄弟仁義で
涙するが裏反社のオハコは山本リンダのヒット曲、
狙いうち、ウララウララウラウラデ。選曲も裏だ。