国家の幸福

一般的に、国家間において国力の評価は、GDP指標を始めとして各種評価がなされているが、国家の幸福についての議論がない。

現状、世界幸福度ランキングなるものがあるが、その実質はその国々における国民の幸福度の集積指標と思われる。

思料されるべきは国家自体の幸福論である。

法人については実在、擬制の両説があるが、国家は絶対的実在でありその存在に疑問を持つ者はいない。

今般、ロシアによるウクライナ侵攻は、国民は当然としても、国家の幸福とは何かについて考えさせられた。

大宇宙の中で青く輝く地球において、各国が天恵なる地理環境を与えられ天地自然の息吹きを発している。

世界遺産で確認できる如く、その有り様は、それぞれに絶景であり、息を飲ませる雄姿である。

人は神とは何かについて語ることはできないが、全智、全能、遍在の神なる存在は明確に認識できる。

鑑主は、子細に説明できる能力はない。しかし、各国は実態としての生命力を有していると断言する。つまり、米国には米国の、日本には日本国なり
の神と称すべき大生命が現存しているのである。

この様に、論を進めれば、ロシア国家は、ウクライナ国家の大生命体を侵害したと考えられる。端的に言えば、神と神の対立である。

しかし、それは宗教戦争を意味するものではない。いわば、人類の歴史にあって回避できない大生命エネルギーの衝突および相剋であると理解できる。

そう解釈すれば、各国の大生命体を超越する、スーパー大生命体が出現して、本戦争に決着をつけるべくお裁きを呈示するのを待つしかない。

勿論、それまでは、各国生命体には恩寵的試練が継続するが、ウクライナ国勝訴となれば、即ち、ウクライナ国家の幸福実現と言えよう。

春になれば、釧路沖に流氷が漂着し、桜前線が南の島々から駆け上がり今年も満開の桜に彩られる、美しき日本国家。この国家を不幸と評する者はいないであろう。

あらためて火の出ずる国、日本、その支配神である、天照大神に御一同、こうべを深く垂れようではないか。

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