昭和ノスタルジー

兄弟漫才で名の知れた、酒井くにお・とおるの兄、
くにお氏が逝去された。人を怒らせるのは容易だが
大勢の観客に迫られつつ緊張感に満ちた舞台の上で
笑いを取るのはむつかしい。通常は声さえうわずり
膝下は震える状況となろう。[ここで笑わな、笑う
とこ無いよ。]の弟、とおるの決めゼリフで劇場の
空気がドットほぐれる。ツカミOKだ。ネタ全体の
キレは今一であるが、お客はそれなりに癒された。
彼らは自嘲的接遇を基本とし、観客をもてなす名人
であった。対して、大木こだま・ひびきの両名は、
こだまが[わざわざ来てくれんでも良かったのに]
と、お客に高飛車に接し、日常生活をうまくネタ化
した。上から目線の高慢的接遇を基本とする。彼ら
には自嘲か高慢かの相違はあるが、漫才のテンポや
ボケかたは昭和中後期の青春経験者にはお約束の形
である。さて、同時期の映画に目をやれば、やはり
高倉健の網走番外地、昭和残俠伝等の侠客、博徒系
シリーズが光る。止むに止まれぬ事情で振りかざす
長ドスで血しぶきの華が咲く。息を合わせて藤純子
が演じるのは、緋牡丹博徒のお竜さん。片肌脱いで
丁半博打の賭場を訪れ、その先々で悪党連中を成敗
していく流れ旅だ。高倉の陰影を宿す目線とは真逆
な美貌の睨みは青年諸氏の心を貫いた。昭和30年
代後半から昭和40年代は、日本が最も輝いた時代
であった。どこまでも熱く激しく前進を続け躍動の
嵐が吹き荒れた。東海道新幹線開業、名神高速道路
開通、東京オリンピックに大阪万国博覧会の開催。
プロ野球では巨人がV9を達成し、空手チョップの
力道山がプロレス人気を盛り上げた。日本国の人口
は1億人を超え、ベビーブームが起こり団塊世代の
創始期となった。彼らの政治的主張は、今や死語と
なった学生運動に発展し、東大安田講堂は戦場と化
した。労働条件の改善をめざすべく、通称ゼネスト
は頻発し、社会的な混乱を引き起こした。この時代
は、まほろばと称される大和の国がまさに鉄火場に
変容していた。健さんとお竜さんのお二人は、当時
の精神基軸であった。常に善悪を明確にし、正義の
闘いで物事を決着させる流儀を常道とする勧善懲悪
主義が社会全体の基調であった。街角ではお約束の
漫才で笑って喜劇場を出て来る人々と、健さんお竜
さんに痺れて映画館を後にする観客が、そこかしこ
にひとだかりとなって交差する光景。笑いと緊張感
が合わさり、買い物客でごった返すストリートこそ
ザ・昭和であった。令和に入り昭和を懐かしむ思い
が一層強い。文化面のアナログとデジタルの違いが
その根底にある。無機質な数字化より人間の関係性
を重視した昭和時代は、今やノスタルジーである。

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