欲望と法治
人生は地獄極楽の境界線上で展開される。
その境界街道の道幅は意外に狭く、人それぞれ角度は違うが概ね上り坂である。
また、
いつどこから山賊や盗賊が現れ、身ぐるみ剝がされ往生しろやと迫られるかも知れない。また、寄り道してよと甘い誘惑が、次から次に襲ってくる。
非常に危険で、呑気な一人旅は許されない。
そこで、人は考えた。自衛や自律の限界は、法で取り締まろう。
日本では、江戸の昔からお仕置き、ご法度は庶民の生活規律となり、現代に通じる集団的法治主義に昇華されてきた。
この境界街道で一番厄介な問題は、金銭と男女関係である。
その根源は人の持つメラメラとしたぬえの様な欲望であるが、人生相談や事件は、この二つに集約されると言っても過言ではない。
週刊文春のスクープも金と不倫の連続砲である。
また、正直これが面白い。あの金持ちが、あの聖人君子がなぜなぜと言いつつ、旨いメシを喰う。庶民生活の醍醐味だ。
そして考える。あれもダメなら、それもダメ、これならどうだい、とお互い愚民の友に聞けば、なんとかギリギリ0Kかな。
結果、その声を半信半疑に実行してお縄頂戴となるから日本の法治は、中々厳しい。やはり光るのは、名君徳川家康公のお言葉、人生は重き荷物を背負うて坂道を登るが如し。
この重き荷物の圧力は、まさに法治主義と解釈すべきである。
また、お暇と時間があれば、鑑主がお答えしましょう。
ビジネスは、人と組んではいけません。あなた自身のThink&Do、で行きましょう。